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Arcevia

その町は、19世紀はじめまで"ロッカコントラーダ"と呼ばれていた。その当時の都市計画学にもとずき建設された町の姿を見ると、そこは山の上に建つその環境を利用した、防備の施された一つの要塞であったという事がわかる。中世の時代、この広大な領土内には、40もの城が存在していた。これら全てを、アルチェヴィアの山頂の要塞城は支配下に置いていた。そなかの9つの城は、丁寧な保存および補修作業により、現在もなお輝かしい中世の一面を保っている。(Nidastoreニダストーレ, Palazzoパラッツォ,Avacelliアヴァチェッリ, Piticchioピティッキオetc...)これら城は、それぞれ眼下に広がる海側へとつながる通路を見張るやくめを果たしていた。当時、この小さな町では、芸術、文学が華々しく栄えていた。数々の文学、美術、絵画の学校などが存在し、活発な教養活動が行われていた。現代画家のルーカ・シニョーレッリ、エコーレ・ラマッザーニをはじめ、陶器の多彩装飾も手がけていたジョバンニ・デッラ・ロッビアらの作品から、当時この地で栄えた芸術文化の活力が垣間見れる。また、アルチェビアの国立考古学博物館に保管されている、コンネッレにて発掘された5000年以上も前の石器時代の古代人の住居跡の遺跡および、当時の石器などもとても興味深い。

 

Corinaldo

コリナルドは、マルケ州の州都アンコーナのそばのセニガリアという街から、18kmほどの丘陵地帯の丘の頂上に位置する、城壁に囲まれた街です。中世、ルネッサンス時代の軍事的建築様式により建てられたこの街は、当時の都市計画により、全て同じ建築資材、建築様式で建築されました。そして現在もなお、街を囲む城壁や、多くの建築物が当時のままに保存されています。そして街中のメインストリートは、まるで枝分かれする様に美しい路地に張り巡らされており、それらの路地を見て歩くだけでも、とても魅惑的な散策ができます。このメインストリートは、町の中心部にある広場と城門をつないでいます。また聖マリア・ゴレッティ礼拝堂,デッラドロラータ教会、非常に貴重な16~18世紀の貴族達の宮殿や私立クラウディオ・リドルフィ美術館の重要な芸術的遺産、といった数々のバロック様式の歴史的建築物が大切に残されています。また、当時城壁の上からの見張りの為に、建設された塔の内部なども、現在は修築、保存されており、見学が可能になっています。そして、城壁の外にも街は続き、聖フランチェスコ教会、聖アンナ教会、格子により閉ざされた聖母マリア聖堂、この街の一番古い建築物であり、1500年もの歴史のある聖マリア・デル・ピノなど、見所が沢山あります。キリスト教徒の間では、コリナルドは、聖マリア・ゴレッティの生誕の地として非常に有名な地でもあります。通年オープンしている、コリナルドのインフォメーションカウンターは観光者の為に、様々な企画を行っています。この様なことが、評価され「イタリア・ツーリングクラブ」より、素晴しい歴史的建築物や、観光施設のある街や、村などに与えられる”オレンジ色の旗bandiera arancione”という賞や、”イタリアの一番美しい村borghi piu belli d'Italia"という賞を、A.N.C.Iより、獲得しています。そして、ヨーロッパの素晴しい自然を満喫し、精神的リラックスを得られる旅先として認められ、2008年には、”緑色の旗bandiera verde”を獲得しました。また2005年より、カルロ・ゴルドーニ劇場が再開され、年間を通して様々な演劇の公演が行われています。また通年を遠して、子供向けの劇場などが用意されています。この町は、色々なお祭りや、イベントでも有名であり、毎年、7月第二週の日曜には、人々が1500年代の衣装を装い開催される、ポレンタ祭りや魔女のお祭り、写真コンテスト”M.Carafoli”、コリナルド・ジャズが、開催され、遠方からも人々が集まり街を賑わせます。

 

Cupramontana

クープラモンターナは、ヴェルディッキオの生産地区のシンボル的な街と言われ、ヴェルディッキオ・ディ・カステッリ・ディ・イエージの生産地区を流れるエジーノ川の右側の領土の標高500mの丘の上に立ち、イエージの沢山の城が建つ領土を支配していた。ここから見える丘の上に建つ数々の街をめぐる事で、その意味がわかる事だろう。クープラモンターナの起源をたどるには古代ローマ時代までさかのぼる。中世初期には長い間“マッサッチョ”という名に変わっていたが、その後もとの名前であった現在の名前に戻る事になった。クープラモンターナは、常にヴェルディッキオの生産に関わりを持ってきた。そして、ヴェルディッキオに関わる生産者を引っ張る存在でもあり、スパークリングワインの醸造技術を19世紀半ば頃にいち早く導入した。街には、数年前から珍しい世界のワインのラベルを集めた博物館があります。三つの部屋には、世界中から集められた著名なアーティストによる、数千のラベルのデザインをはじめ、デッサンが展示されています。このなかには最も古いもので、19世紀のものも展示されているなど、非常に興味深い。そして、この博物館では、毎年ラベルのコンクールを開催しているほか、昔の農業技術や、農作業の方法を紹介している。またイタリア国内におけるワインの果たす重要な役割などに、スポットをあてたイベントを開催している。1928年に、ワインのお祭り”フェスタ・ディ・ウーバ“が行われ、この地のワイン生産や農業による経済効果を祝う行事はその後、毎年開催されることとなった。こうしてこのワインのお祭りは、現在も街の重要なイベントとして街ぐるみで大切にされている。このお祭りの開催される日には、昔の民族衣装をまとった人々、歌や踊りを楽しむ。また、田舎風に素朴なスタイルで建てられる小屋には、この土地の伝統料理を楽しめるレストランがあり、そこで食事を楽しむ人々や、昔ながらのワインの醸造方法で、素足でブドウを圧搾する作業を再現するなど、街中が大変な熱気に包まれる

 

Fabriano


丘陵地帯の豊かな自然に囲まれ、アペニン山脈を背にし、ウンブリア州との境界線に程近いファブリアーノは、古くは、文化と道が交わる交差路でした。そしてこの地域の人々は、古くから勤勉で人情深く、伝統を大切にしながら、新しい文化にも開けた考え方を持ってきました。そして、この土地の豊かな伝統文化、豊かな食文化、様々な食材の数々を誇りに思っています。この地域の食文化の象徴でもある、サラメ・ディ・ファブリアーノ(ファブリアーノ特産のサラミ)、チャウスコロ(アペニン山脈麓の丘陵地域特産のサラミ)ヴェルディッキオ・ディ・マテリカ(マテリカ地区産の白ワイン)アニェッロ・ディ・ラッツァ・ファブリアネーゼ(ファブリアーノ種の子羊)は、美味しく安全な食材を探すグルメな方々を、楽しませてくれます。また、この地域には自然の豊かな美しい小さな村が沢山あり、ゆっくりとした時間が流れています。そして今現在もこの街を囲む丘陵地帯の丘の数々、低木地帯、森林地帯、自然の湧き水は、大切に保護されています。これらの村々を見て回ってみると、そこには、豊かな暮らしとは何かという答えが見つかるはずです。またこの地は、歴史的な伝統文化のほかに、豊かな芸術文化も魅力的です。市役所広場にある1285年に造られた円形の噴水、そして市役所の建物、マルケ州最古のゴシック様式によるポデスタ宮殿。また、1884年に造られたジェンティーレ劇場へも程近いほか、毎年、四種の歌劇が上演されることでも、知られています。そのほかにも、紙とフィリグラーナ紙の博物館では、中世の時代にこの街の芸術文化を象徴していた伝統的な透かし紙“フィリグラーナ紙”を当時の機械を用いてつくる伝統的作業を見学できます。また市営の美術館では、中世のファブリアーノ出身のアーティストの作品を集めています。15世紀の著名なゴシック画家ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの存在と共に当時のこの街の華やかな芸術文化を象徴しています。またヨーロッパ最大規模の侵食によるフラサッシ鍾乳洞は、1500m地下の洞窟内を見学する事ができます。この鍾乳洞は、数十年前に発見され、1974年から一般公開されており、イタリア国内のみに止まらず、世界中から沢山の見学者が訪れます。ヴェルディッキオの二つの生産地域の一つであり、カメリーノまで続く渓谷地域に位置するマテリカへのアクセスも便利です。中世の絵画などが有名なピエールサンティ博物館とマルケ州の地域の先住民族である、ピチェーノ民族にまつわる発掘品が見学できる考古学博物館を訪れるのもまた、魅力的です。この街は、豊かな自然、歴史的な伝統文化、芸術文化、そして美味しいワイン、素晴しい地食材の数々と沢山の魅力を持っています。是非、一度ファブリアーノへ訪れてみてください。

 

Genga


城壁に囲まれた小さな街ジェンガ。その街の中心に位置する古城からは、近隣の広大な景色を見渡すことが出来ます。街の郊外にある“グロッタ・ディ・フラサッシ(フラサッシ鍾乳洞)”は、ヨーロッパの中でも最大規模の侵食によって出来た洞窟としてその素晴しさは広く知られており、毎年沢山の旅行者が訪れます。さて、この地域の歴史をたどるには、約25世紀前にさかのぼります。先住民であったピチェーノ民族の住んでいたこの地は、”ガッリ・セノーニ軍“。(現在のウンブリア州からトスカーナ州の地を当時、支配していた軍。)によって、侵略されていました。そしてその後も、古代ローマ軍との争いが続き、そして約100年後の古代ローマ軍の勝利と共に植民地として、Sentinum, Aesis, Sena Gallica, Suasa, Forum Semproniiなどの街が創設されました。このように、中世の時代において、度重なる戦争の度にジェンガの街は、軍事施設としての修築がなされていきました。そして小高い丘の上には、修道院、教会、城、さらにその周りには城壁が建築されました。また、長い年月をかけ自然が創りあげた渓谷、センティーノ川の脇にたつサン・ヴィットーリア・デッレ・キューゼ修道院は、その当時を象徴する代表的な建物と言えるでしょう。またアペニン山脈のふもとの山岳地域に位置するこの街には、数多くの湧き水があり、現在も近隣の町や村へその天然の湧き水を供給し続けています。この水に恵まれた渓谷の間を通る道からは、とても素晴しい景色が広がっており、その湧き水の水質は、硫黄泉であり治療効果があるとされている。ジェンガの中心には、一本のメインストリートがある。そこを中心に、枝分かれするように町の外側へ細道が広がる設計になっており、これは昔、防備を施したラインの中の静かなゾーンに、住居を建設するように考えられて、築城された結果といえるだろう。この街を訪れた観光客は、そこへ広がる静粛な世界に、あたかも時間の流れが止まったかのような錯覚を覚えるという。そして街の外の周辺にも、当時のままの素晴しい状態でたたずむ中世建築の建物の数々、そして美味しい料理の食べられるレストラン、温泉などをはじめ、自然豊かなリラックススポットが数多くあります。また、ジェンガの地からは数多くの街、観光スポットへのアクセスが便利です。透かしの入った紙フィリグラーナと紙の博物館のあるファブリアーノ、ヴェルディッキオの生産地として有名なマテリカ、そしてその少し先にはカメリーノ。また、金メッキの銅像の眠る博物館のあるペルゴラから、ウンブリア州の街グッビオへと向かうルートなどもお勧めです。

 

鍾乳洞内で熟成が進められるヴェルディッキオ


マルケ州の丁度中心部のイエージとマテリカの間に位置するジェンガ地区には、ヨーロッパ最大級の鍾乳洞、フラサッシ鍾乳洞があります。そこから数キロの土地には、ブドウの樹木で覆われた丘陵地帯が広がります。勿論、この地域のぶどう畑で栽培されているブドウは、ヴェルディッキオ種です。

数年前にアンコーナ県の副県長である、ジャンカルロ・サグラモーラ氏を中心に、鍾乳洞内の暗く、静かで、湿気、温度が一定であるという条件がワインの熟成に適しているはずであるということを検証しようと、数件のワイナリーのヴェルディッキオのボトルを鍾乳洞内に配置し熟成の進行度合いを調べようと試みた事が、このイベント”フレスコ・ディ・グロッタ“が始まりました。この地の持つ、二つの素晴しい魅力を組み合わせる事は、少しでも多くの観光者にこの地域の自然の素晴しさを広めたいという想いがその背景にあります。

昨年の夏の初めには、鍾乳洞内で熟成されていた幾つかのボトルを取り出し、これらのワインの現時点での熟成具合を調べるティスティングイベントが、ソムリエ、エノロゴ(ワイン醸造家)、ジャーナリストなどを対象に開催されました。その際は、鍾乳洞内で熟成したものとワインセラーで熟成させた同じ年代のワインが用意され熟成度合いの比較が行なわれました。このテイスティングでは非常に興味深かい検証結果が出て、鍾乳洞内では、ワインの熟成速度が緩やかになった反面で、色の熟成速度は通常より速く進んでいることがわかりました。

このテイスティングイベント“フレスコ・ディ・グロッタ”は、この後も、定期的に開催される予定で、現在、鍾乳洞内に残されたワインを、最低でも5年以上の熟成期間を目処に、さらなる熟成を進め、段階的にさらなる検証をしていくとのことです。また、第一回のイベントを経て、新たに数軒のワイナリーのワインが鍾乳洞に、ワインを置く協賛ワイナリーとなりました。

これは、この調査をより意味あるものへ、そして様々な方面へ影響を与えていくことでしょう。またマルケ州のワイン醸造家たちによって、新たな情報を元に、ヴェルディッキオの持つ魅力をより探るべく、研究が進められるきっかけとなることでしょう。このイベントに協賛しているワイナリーは、カザールフラネート、ファツィ・バッタリア、サンタ・バルバラ、テッレ・コルテージ・モンカーロ、ウマーニ・ロンキ、ヴァッレローザ・ボンチ、ヴィニャマートです。

 

Mondavio

中世の城壁に囲まれた街モンダーヴィオは、今もなお当時の要塞が素晴しい状態で保存されています:この街を見学した人々は、皆この要塞の素晴らしさに魅了されます。さらに、中世の建物や雰囲気を肌で感じたい方々には、この街の周辺の探索もお勧めです。この要塞の街は4世紀の後半、当時の有名なルネッサンス建築家の一人であったフランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニの設計によって建築された。その後何世紀もの長い時を超えて、今もなお当時の軍事政策により築かれた、敵からの防備と攻撃の二つの要素を兼ね備えた強固な軍事要塞の姿が、ほぼ完全な状態で保たれている。この要塞は、上から眺めることで、当時の建築意図が見て取ることができる。軍事的に考え抜かれたその設計は、鋭角な角度の角ばった箱のような複雑なデザインになっており、その最上階には、全ての面に開閉可能な窓が配列されている。これは、全方位を正面から望むことにより、敵の攻撃に対し、当時の最新の攻撃用武器を用いて、正面から応戦できるようにとの考えられていた。(当時の武器とは、火をつけた石を投げる機械、射石砲のようなもであった。)また要塞の内部の全ての見学も可能で、当時のままの姿を可能な限り保存してある、内部はまた、大変興味深い。この要塞からなるモンダーヴィオには、このほかにも、まるで絵葉書の絵の様な歴史的中心街が広がる。また丘の上から眺める絶景や、そこへ広がる野畑の田園風景、穏やかに人々が仕事に精を出す姿。まさに、ここだけはゆっくりと時間が流れているかの様な、昔のままの時の流れを感じさせられる地域です。

 

Pergola

ペルゴラは、マルケ州のペーザロ県の内陸側にある、古代ローマ時代、海側と内陸を繋ぐ、主要道路であったフラミニア通りが通る、とても小さな街です。ここ数十年の間に、この小さな街はカルトチェートの黄金のブロンズ像によって、有名になった。1946年この街の近郊で二人の農夫が、畑仕事の途中にいくつものブロンズの破片を発見したことにより、それらはすぐに研究調査された。その復元作業には、約40年という時間がついやされた。現在ではペルゴラの美術館において、318の破片から復元された4体のブロンズ像を鑑賞することができる。2体の男性のブロンズ像は馬にまたがり、2体の女性のブロンズ像は横たわっている。これらのブロンズ像がいつの時代の物であり、またどの様な人物の像であるかは長い間議論された。紀元前50年~40年の物ではないかと言う説と、西暦20~30年の物ではないかという説があるが、現在もなおその詳細はわかっていない。またこれらのブロンズ像が王族などの家族をモデルにした像であったのか、または発掘されたこの近郊の、当時重要であった町に住んでいた当時の貴族をモデルにした像であったのか、そういった確かな情報は未だ謎に包まれたままである。この周辺にはローマ時代の重要な町Suasa, Forum Sempronii, Sentinumなどが存在していた。時代や原作者の特定やそのモデルを把握することはさておき、ペルゴラのこのブロンズ像が古代ローマ時代の騎士団の唯一残る金の装飾がされたブロンズ像にであり、その歴史的価値は、とても重要なものである事に疑う余地はない。これらの発見された小さな破片の数々が、人気のない街の外れから発見されたということは、このブロンズのモデルとなった家族は、何かしらの制裁を受けたのではないかと推測されている。古代ローマ時代、王族などの権力者に逆らい、制裁を与えられたもの達は、その地位や全てのものを失った。(肖像や銅像は権力の象徴であった為、制裁はそれらのもの全てを抹消することでもあった)これらのブロンズ像は、金棒などの棒状の物などで粉砕され、この破片は住んでいた場所から遠く離れた野原などの地中に埋めらていた。2000年以上の時を超え、現在その修復された当時の姿を、ペルゴラの博物館内にて目にする事は、とても幸運なことだろう。多くの学者たちは歴史的鑑定の為だけではなく、当時の金を溶解する技術、表面を金で覆う装飾技術などの多方面にわたって、ブロンズ像の研究に情熱を捧げた。溶解作業の為に使用されていた金属の性質は銅と微量の鉛だったのに対し、表面を覆う金の装飾作業は、高温に熱し伸ばした金の膜が貼付されていた。周知の通り、ローマ時代の町Sentinum(現在のサッソフェラート)の辺りには、鋳造工場があったという記述があり、その辺りから発掘された黄金のブロンズの馬の像は、現在アメリカの美術館に保管されている。

 

Serra de' Conti

セッラ・デ・コンティ村は、ミサ川の流れる渓谷にある、ヴェルディッキオの生産地域の丘の上にいくつもある城の一つです。1950年頃までは、農業の栄えた地域として知られてきたこの村も、近代農業の発展と共にいくつかの中規模の企業に飲み込まれる結果となりました。そしてこれらの企業が現在も、この村の経済を支えています。今回は、この地方の素晴しい食文化、歴史、文化を愛する私たちの視点から、この村の魅力を新たな一面から語ってみたいと思います。その一面とは・・・もちろん食文化です。イタリアのスローフード協会が数年前に始めた活動の一つに、存続の危機にある各地の地食材を保護し、再びプロデュースし経済的にも本質な復興を図るという物がありました。それらの食材は“プレシーでリオ”と呼ばれ、その地で作られた一つの証明となりました。発足と共に、この地セッラ・デ・コンティ村の”チチェルキア“と”ロンジーノ・ディ・フィーコ“もまた、このプレシーディオに認定されました。現在、イタリア全土において、約180の特産品がプレシ-ディオに認定されています。そのうちマルケ州では、総数5つを有しており、またその内の二つが、ここセッラ・デ・コンティ村で生産されています。そして、現在もなおこの古い食文化に注視し後世へ残していこうとする活動は継続されています。“サーパ”と呼ばれるブドウの果汁をゆっくりと蜜状になるまで煮詰め、その昔、砂糖の代用品として使用されていたものをはじめ、以前紹介した、野性のサクランボをブドウの果汁と共に発酵させて作るサクランボのワイン”ヴィーノ・ディ・ヴィショラ“や、)近年その姿が私たちの食卓から姿を消してしまっていた、粒が小さく黄色がかった、皮が薄く柔らかいという特徴を持つとても美味なこのインゲン豆”ファジョーロ・ゾルフィーノ“(古代種ゾルフィーノ種のインゲン豆)があります。この様に昔の食文化に注目し様々な歴史ある地の食材を復興する活動は、きっと私達に流れる祖先が畑を耕し、様々な農作物を作って暮らしていた事に由来する事や、内陸地方に広がる広大な自然に恵まれる事から来るのだろうと、私達マルキジャーノは考えています。私達、田舎地方に暮らすものは自然との関係という意味でも、都市部に暮らす人々とは大きな違いがあるかと思います。想像してみてください、毎日沢山のオリーブの木に囲まれて、近隣に自生する様々な木の実を食し、広大な台地に広がる小麦畑を眺める落ち着いた時間の流れる暮らし。この丘に暮らす事は、自然との関わりを最大限もち、毎日その自然の恵みによる食材に感謝し、これらを食す事を意味します。毎朝畑に出てその時々の時期の食材を収獲し、昼食又は夕食に食す。まさに現代人がスーパーマーケットに買出しに行くのと同じ事だと思いませんか?食に結びつく昔の記憶や、伝統的な風習、後世へとこれらの喜びや味を伝えていく事、そしてやはりこれらの食材を使った様々な伝統料理を食すこと!だから、私達は食文化や、一つの食材にスポットを当てたフェスタを開催するのが好きなのでしょう。そして、11月の最後の週末にには、プレシーディオにも認定されている”チチェルキア”にスポットを当てたフェスタが開催されます。

 

Serra San Quirico

アペニン山脈を背にする小さな村、セッラ・サン・キリコは、フラサッシの鍾乳洞から数キロのアッペンニン山脈へと続く、渓谷地帯から山岳地帯へと登る道のりの途中に位置している。中世に作られたこの村は、今もなおその広場や噴水、修道院の回廊やテラスなどその全てが当時のままの完璧な状態で残されている。村の入り口では、敵からの攻撃から居住区を守っていた石造りの城壁の上にある、“コペルテッレ”と呼ばれる、中世に作られた屋根つきの連絡壕を、今でも通り抜けることができる。村の中心には、小さな広場があり、1200年代に建築された塔がある。また16世紀の噴水をはじめ、渓谷地帯の自然を一望できる開廊ロッジャ・マニン、15世紀に建築された自治体の建物、そしてバロック様式の宝とも称される内装に、金と漆喰の彫像がふんだんに使われており、天井に広がる絵画と圧倒される雰囲気をもつ、サンタ・ルチア教会へ向かうの大階段、また、今もその音色が健在の1675年製のオルガンなどが存在する。

 

アドリア海の真珠:コーネロ

もし、皆さんがイタリアのアドリア海の海岸線を巡る旅をしているとしたら、丁度その旅の半ば頃、イタリア中部のマルケ州を通るでしょう。そして、その美しい情景が、“アドリア海の真珠”とも形容さられるこの地域で、コーネロ山に出会う事が出来ます。まるで海へ突き出るかのようにそびえ立ち、その絶壁には、地中海性気候による特殊な野生植物が生息する広大な緑に覆われています。標高570mのこの山の姿は、見るもの全てを魅了して止みません。岩石の多い土壌のこの山のコーネロ山州立公園では、コルベッツォロと呼ばれるオランダイチゴの一種や、ジネストラ(エニシダ)、レッチョ(樫の一種)、ピノ・マリッティモ(松の一種)などの地中海性気候の地域に生息する珍しい木々が、丁寧に保護されている。そして、山の下り斜面には、アドリア海が広がり、山の傾斜によりやや隠れた入り江の砂浜は、観光客に大人気なスポットのひとつだ。また、山を内陸側へ進んでいくと、マルケ州を代表する赤ワイン”ロッソ・コーネロ“に使用されるブドウ、”モンテプルチアーノ種“を栽培しているワイン畑のすばらしいパノラマが広がる。この地は、中世の時代には、海軍基地としてとても重要な役割を果たしており、現在も当時外敵の見張り役、又灯台として活躍した塔など、当時のなごりがある。また、800年代初めの、ナポレオンによって支配されていた時代に造られ、砦の役目を果たしていた出城が、今もなお当時のままに保存されており、一般にも公開されている。そして、海もまたさまざまな自然の恵みを与えてくれる。そのなかでも、やはり“ポルトノーヴォ”の海で取れる“モッショロ”と呼ばれるムール貝を忘れるわけにはいかないだろう。このポルトノーヴォのムール貝は、この地域におけるわずかな限られた海域でのみ取ることのできる、貴重なムール貝だ。そしてこの海からの恵みは、厳しい法律により保護されており、一年のうち5月~10月の約半年間のみ、その漁が解禁される。漁師達はこの期間それぞれの小さな船で朝早くから海へ出て、5~6時間後、この希少な海の幸と共に漁港に帰る。そして、このムール貝の美味しさは、是非とも収獲されたその日のうちに、その美味しさを堪能したい。取れたてのムール貝の味はまさに格別だ。

 

Fonte Avellana

フォンテ・アヴェラーナは、マルケ州を通るアペニン山脈の丁度真ん中あたりの、カトリア山の傾斜のちゅうふくにあります。山を背にしたその近隣には、広大な森林の緑に囲まれた絶景が広がります。そこには、11世紀前後に建てられ、何世紀にも渡って、その当時の文化においての中心的役割をはたしていた修道院がある。修道院長であったピエール・ダミアーニやグイード・ダレッツォら、この修道院に多大な貢献をした彼らの名前が知られている他、かの詩人ダンテ・アリギエーリの有名な「神曲」の中に、この修道院の事が歌われていることでも、有名だ。後にこの修道院と共に、この町が有名になっていったことで、徐々に経済的権力も強くなっていった。後には、周辺の地域を支配するまでの存在となり、修道院もまた、更に豪華な建物へと増築がなされた。現在もなお修道師たちは、当時と同様の威厳ある姿でその務めを続けており、当時の伝統を素晴しい状態で残っている。そして、その様子を多くの旅行者達が通年を通し見学に訪れている。ロマネスク様式のこの教会は、増築された祭壇、納骨堂、礼拝堂などに使用される地下室がある。また中世の時代、印刷技術の発明される以前、修道士の筆耕者(写字を専門としていた人)によって手書きで写本や本を書いたり、模写がなされていた。その様な写本を作成する為に使われていた写字室(スクリプトリウム)では、現在もなお古代ギリシャ、ローマ時代の数多くの文献が保存されており、その部屋は訪れる価値がある。また見学者達は、内部に入れば窓から差す幻想的な光を閉じるための羊の皮を乾かす疎に使われていたが、その後食堂として、また応接間として使用されるようになった。そのため、ここには現在も1500年代にくるみと栗の木を使用して作られた長いテーブルが保存されている。回廊へ行くと、そこは完全なる沈黙の世界が広がり、ロマネスク様式とゴシック様式による数々のアーチを見ることができる。それは、まさに様々な時代に改装改築を繰り返してきた歴史を現しており、アラブ様式へ言及する資料も数多くある。見学者の方には、是非、ジャルディーノ・ボタニコと呼ばれる森林公園の自然のままの森を散策し、そのゆっくりと流れる時間を楽しんで欲しい。ここでは、栗の木やブナの木をはじめ、かえで、西洋とリねこ、しな、つのぎの木などの珍しい植物を見つけることが出来る。これは、昔の修道士らがこれらの根や、希少な薬草などから治療に使用する薬を作るのに使用していた為だ。この森林公園の中を散策すれば、この公園内の樹齢の高い木々の歴史、呼吸などを肌で感ることができる。まさにこの修道院が、イタリア中に知られた一番の理由は、この恵まれた自然の力、歴史、芸術、文化などの条件があったからだといえるだろう.

 

ルネッサンス期における巨匠

1480年ヴェネツィア生まれ革新的であった芸術家ロレンツォ・ロッティは若くして、マルケ州に移り住み、ローマとベルガモで過ごした短い時期を除き、彼の人生の大部分をマルケ州で過ごした。マルケ州の各地において現在もなお、50年間に渡る彼の芸術活動の偉大な痕跡を見ることができる。なかでも、代表作とされる彼の絵画は、イエージ(Jesi) 市立絵画美術館蔵 「サンタ・ルチアの大祭壇画」「受胎告知」「キリストの硬架」、レカナーティ(Recanati)市立美術館蔵の「キリストの変容」「受胎告知」などがあげられる。また、その他の作品はアンコーナ、チンゴリ、ロレート(ロレート市立絵画美術館)、モリアーノ、モンテ・サン・ジューストなどの各地にある。洗練されたこの画家の作品からは、ためらいや、実生活の中の不確かさと言った、日々の感情に強く結びついており、ロレンツォ・ロットにとって宗教的、信仰の感情とは、常にその土地に生きる彼自身の人生にとって、とても身近な存在であった。

 

San Vittore alle chiuse

今から約千年前の11世紀、聖ベネディクト会の修道士の手によって建てられたこの修道院は、当時の建築様式であったロマネスク様式が用いられており、東ローマ帝国の芸術文化の影響を垣間見る事ができる。入り口を挟むように、立ち並ぶ二つの塔は、当時の近隣の修道院を仕切るための見張りの役割を果たしていた。平面図で見ると、この建物は正十字の形をしているのがよくわかる。また、その内部は、建設に用いられた石灰岩が、今もなお幻想的な輝きを発している。この地域は、フラサッシ鍾乳洞へのアクセスに程近く、自然を満喫したい人々をはじめ、洞窟に興味のある人々にとっては洞穴学の観点からも見所満載の地域といえるだろう。また、マルケ州の中でも特に、当時の文化の特徴が残る地域の一つであり、ロマネスク様式に興味のある人々にもお勧めの地だ。

 

マルケ州に残る歴史的な劇場

1868年、この州には113 の劇場が存在していた。その多くは1700年代~1800年代半ばに建築された。改装、修復作業を経て、現在もなお当時の貴重な建築様式から、数々の独立都市が存在していた、当時のマルケ州の素晴しい文化を私達の世代へ証明しています。 マルケ州において、ペーザロ、ウルビーノ、ファーノ、イエージ、ファブリアーノ、アンコーナ、マチェラータ、マテリカ、フェルモ、アスコリ・ピチェーノ、には、それぞれ歴史的な劇場があり、その他の様々な建築物と共に、作曲家のジョバンニ・バッティスタ・ペルゴレージ(イエージ出身)、ガスパーレ・スポンティーニ(マイオラーティ出身)、ジョッキーノ・ロッシーニ(ペーザロ出身)などによって、当時、華やかに栄えていた、マルケ州の豊かなエンターテイメントの世界の活気を映し出しています。いくつかの歴史的劇場では、現在も貴重な時代の一面を描いた演目などの興味深い演劇を公演している所もあります。

修道院の文化を今へ伝える博物館

イタリア国内でも数少ない、修道院の歴史を取り上げた博物館のひとつが、セッラ・デ・コンティにあります。こちらの博物館では、1600年代前半以降の、修道院内の日常の生活に使われてきた日用品をはじめ、キリスト教の隠者としての厳しい規律の中に生きた修道士の暮らし、当時の文化を反映する様々な道具、器具が展示されています。展示品の多くから、当時のサンタ・マリア・マッダレーナ修道院の中の特殊な生活の一部が垣間見ることができます。薬草を用いた薬品作りに使用されていた、様々な形をしたガラス製の道具たち、大小の織物を作っていた織機。また細かな刺繍の芸術的な技巧をはじめとした、当時の修道女たちの製作していた作品の数々。また、数多く保存展示されている、珍しい調理器具の数々。テラコッタ製の壷、陶器のお皿、銅製の鍋、様々な形のパスタを作る為の器具、お菓子を作る為の木製の型、スープを入れる器・・・これらの調理器具を見ていると、当時の小麦粉、卵、オリーブオイル、チーズ、ワイン、スパイスを中心とした、とてもシンプルな遠い昔の料理の香りがしてくる様な、錯覚を覚えてしまう。この様な当時の日常生活の一面を垣間見られるこの空間は、まるでタイムスリップしたかの様に、当時のゆっくりとした、静かな時間の流れを感じさせてくれます。修道院という閉ざされた空間の中で生まれた規律と文化。そこで生きた修道士同様に、現在も神へ従事することで、昔と変わらず人々の生活の深い部分で支えている人々が居ます。この博物館は、まさにこの様な修道院と人々の良い関係を後世へと伝えてきた、ひとつの貴重な場と言えるでしょう。

 

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Serra de' Conti (An) - Italia